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杉山 大介
アーティスト・画家

幼少期

1979年、愛知県瀬戸市で生まれる。

「産まれてすぐに泣かず、別室に連れて行かれた。長く重たい沈黙の後にようやく産声を上げた。そのときに隣の部屋の関係者が一斉に深く息を吐き出したのが印象的だった」と小学生の時に母から聞いた。瀬戸際だったらしい。
2歳まで熱田神宮にほど近い名古屋市南区で過ごす。その後、瀬戸市に引っ越す。
病弱だったものの、山を駆け、絵を描くことが好きな活発な幼少期を過ごす。瀬戸の粘土層をほじくって遊ぶこと、家の前の雑木林で虫取りをするのが好きで、虫のよく集まるある一本のクヌギがとくに好きだった。

小学生時代

1986年、瀬戸市立水南小学校に入学。

校門の前にとても大きなクスノキのある学校だった。校内には大きなドブ川があり、よく遊んでいた。外で遊ばないときはマンガを描いて過ごした。女友達がほとんどで、少女マンガを好み、特にさくらももこが好きだった。
9歳の時に凄まじい眼の奥の痛みと頭痛を覚え眼科に行ったところ、緑内障と診断される。以来、失明の恐怖と闘うことになる。目が覚めるたびに光が見えることに安堵する日々を送る。「光」が特別な意味を持つようになった。
小五の時、授業で描いた絵を担任に酷評され、模範的な絵に描き直させられる。自分にとって自然な表現を否定されることにこの上ない屈辱を覚える。
小六の時、父の影響で水彩画に水を使わなくなる。図工の成績は下がったものの、このときの担任は自由に表現させてくれた。卒業文集の将来の夢には「医者」と書いた。虚しかった。

中学・高校時代

1992年、東海中学入学。

中一のとき、仏教(浄土宗)の授業が新鮮だった。花祭りの日に飲む甘茶がとても気に入って何杯もおかわりをした。
ある休みの日、名古屋市の大須にある担任のお寺に招かれ、和紙と竹で凧を作る機会があった。寺のお堂で和凧を作り、境内で凧揚げする経験は不思議で、とても楽しかった。その際、大須の縁日を初めて見る。以来、大須という町が特別な町となる。
部活は地学部に入り、岐阜方面を中心に鉱石と化石をよく掘りに行った。とくに光り輝く鉱石を掘るのが好きだった。
中二のとき、母の影響で遠藤周作の文学に出会い、遠藤文学に夢中になる。目に見えるものだけが「光」ではないことを知る。「ともにある」という感覚も得たが、何が「ともにある」のかはよく分からなかった。
美術の時間にレギュレーションを無視した立体作品を作り、美術教師にあからさまに冷笑される。怒りから作品は捨てた。
友人の影響でYMOとクラフトワークを聴くようになる。これがきっかけでMacintoshの存在を知る。
中三は中一のときと同じ担任で嬉しかったのだが、すぐに病気で入院となってしまい、担任が代わる。新しい担任は地学部の顧問だった。副担任は同じ水南小学校出身の方で自宅もすぐ近所、公私ともに夫妻でかわいがってくれた。その副担任に「将来はパソコンを使った仕事がしたい」と告げたそうだ。記憶にないのだが母が先生から話を聞いたとのこと。
修学旅行で訪れた大原美術館でモネ、エル・グレコの絵に衝撃を受け、動けなくなる。モネには光学的な光を、エル・グレコには精神的な光を感じた。
これを機に自身で表現することに強く興味を持つようになり、表現の手段としてMacintoshを買ってもらう。マックで描画したものをプリンターで印刷しては、ディスプレイ上の色と印刷された色の差違に強い違和感を覚える。カラー出力は一端諦め、モノクロ印刷をするようになる。
友人の影響でパソコン通信を始める。ネットに強い可能性を感じるとともに、大人達との交流に夢中になり、オフ会にも積極的に参加した。
同年、入院した前担任が闘病の末、亡くなる。このような形で久しぶりに先生のお寺に訪れることになった。無常を感じる。

1995年、東海高校入学。

高一の時、「Daisukeの署名」と「design」を掛け合わせた造語「D.sign(ディサイン)」を創る。この矛盾を抱えた造語は、どういう道筋になるかは全く分からないものの、人生をかけた非常に長いスパンのアートプロジェクトの名前になると確信。
高二の時、学園祭の出し物の一つとしてウェブサイトを作ることになり、デザインを担当。美術の授業で初めて指や手のひらを使ってアクリルガッシュで絵を描き、絵具の物質感に惹かれる。
進路は東京藝大のデザイン科へ行きたかったが緑内障を抱えていることもあり、断念。
高三の時、何もしたくなくなり、大須の町をふらついて過ごす。気がついたら高校を卒業していた。
ある日、オンワードのファミリーセールに行き、「Jean Paul Gaultier」の服を初めて見る。あまりにも雑然とした倉庫のような場所で見たため「変わったデザイン」程度にしか感じなかったがインパクトがあったため「ゴルチエ」の名前は頭に残った。

浪人の時、センター試験当日に高熱を出し大失敗。すぐ病院に行くと難病だと告げられる。京大の総合人間学部を目指していたが経済学部を受験、合格。合格祝いに「HELMUT LANG」の服を買ってもらう。

京都時代

1999年、京都大学経済学部入学。挫折感から二回生から法学部へ転学部して司法試験を目指すことにする。それまでの一年間は自由に過ごそうと自分たちでサークルを立ち上げ、ビラを自分でデザインし、大学の掲示板一面をジャックする。成人式にはオンワードのファミリーセールで買ったゴルチエのスーツを着ていった。
2000年、同大学法学部に転学部。司法試験受験のため予備校に通う。マシンのように規則正しい生活を送っていた。毎日が同じ日のようだった。この頃、浪人時代に発症した難病の治験のため京大病院に通う。
2001年2月、突然六法が読めなくなり、司法試験を断念。
この挫折から京都の寺町通界隈へくり出すようになる。ふらっと訪れた百貨店にて初めてしっかりとディスプレイされた「Jean Paul Gaultier」の世界に出会い、衝撃を受ける。以来、ショップに足繁く通い、スタッフたちとの交流から服飾とモードについて学ぶ。特にゴルチエのコンセプトのひとつ「第三の性」に共感、この頃からメンズスカートを履くようになる。
2002年、政治思想史(小野紀明)ゼミでファッションデザイナー「Jean Paul Gaultier」のクリエイションをテーマに扱う。ゼミ総会にて商社でアパレルを扱っているOGに進路を相談したら「ファッションが好きなら服を商材として扱うのではなく自分で作らなければダメだ」と言われ、ハッとする。大学を休学して表現手法を学ぶことを決意。
2003年から同大学を休学。
グラフィックデザインを学ぶため専門学校に入るも「これではない」と2ヶ月で辞める。その後、デッサンを習うため訪れた美大受験予備校でアーティスト・森芳仁に出会い、師事。ファッションからは離れ、デッサン等の基礎、アート理論、映像理論、デジタルデザイン、3DCGを学ぶ。3DCGに取り組むことでそれまでの「平面=XY軸」から「Z軸」を強く意識するようになり、CGで立体的な質感を探求するようになる。
2005年1月、思いつきで高野山へ。一人で宿坊に泊まり、護摩行を体験。金剛峯寺ではふすま絵に圧倒される。サラサラと雪が降り、ひとけのない奥之院の持つ空気が極めて印象的だった。
その後、『認知とリアリティ』をテーマに、3DCGによる現代版『洛中洛外図』を作り始めていたが、行き詰まり創作を断念。就職先を探す。

会社在籍時代

2007年9月、テレビをほとんど見たことがなかったが、名古屋のテレビプロダクションに就職。地上デジタル放送データ放送のUIデザインを担当。
2008年3月、京都大学法学部を自主退学。
2010年4月、結婚。書面のみで式などは行わなかった。
2011年4月、名古屋の広告会社に転職。
同月、予定より早く息子が産まれる。低出生体重児だったが、母子ともに元気だった。
仕事としては「AR(Augmented Reality)=拡張現実」に今までにないリアリティを感じたため、志願してARを用いたプロモーションを手がける。また、デジタルサイネージに強く興味を抱き、デジタルサイネージプロジェクトを担当。アドネットワーク関係も学んだが、業務としては拒否。
2015年初旬、病に倒れる。直後、妻子とは別居する。
以後数年間、死線を彷徨うことになる。深刻な睡眠障害が併発したこともあり、1日14時間から16時間、眠りの中で過ごす。
2016年7月、病気の回復が見込めないため、広告会社を退社。
2017年頃、離婚成立。家庭裁判所には這って何度も出向いたが、それ以外の記憶はほとんどない。

アートへの決意

2015年から、自分は生きているのか、死んでいるのか、あるいはそのどちらでもないのか、分からない状態だった。

「一体生きているとは何か。死ぬとは何か?どちらとも実感できないこの<生命>とは何か?」
2019年、これらの問い『生と死、その狭間<生命>』をアートとして表現することを決意。
2019年、身体感覚を取り戻すため、アクリル画を始める。療養のため訪れた岐阜県関市にて「放置された薪」と出会い、それを元に絵を描く。2019年全日本アートサロン絵画大賞展入選。
2020年、シルバーホワイトの色と物質感に魅了され、油絵を始める。
油絵具と格闘する中、外光によって刻一刻と変化する物質的陰影、その陰影を生む物質感にこそ<生命>を表現する力があると考え、光と影を絵具で描く陰影ではなく、絵具そのものの物質感によって表現するようになる。
飼い猫の死とCOVID-19の影響を受け、夏に『常なるものは何もない』を描く。FACE2021入選。
秋に油絵と並行して再びアクリル画に取り組む。物質感で水を表すための陰影を作る中で、物質的な『depth(深度)』という考え方にたどり着く。
しかし、物質的な『depth(深度)』だけではどうしてもこぼれ落ちてしまう色彩と〈生命〉、そして光があると感じる。
なぜ物質ではそれらがこぼれ落ちてしまうのか?それは質量を持ち、それ自体が光らないからではないか?質量のない、それ自体が光を放つ<生命>もあるのではないか?と考え、「それ自体が光るデジタル表現」を再評価。物質的な『depth(深度)』から一歩踏み込み、『奥行き(Z軸)』を強く意識したデジタルペインティングに取り組み始める。 2021年1月、友人から私の絵をハンカチにして欲しいと頼まれ、油絵とデジタルペインティングを元にコットンのハンカチを制作する。後日、友人が洗濯したハンカチを外で干している光景を写真に撮って送ってくれた。そこにはプリントされたコットンが日の光を透き通すことで見えてくる色彩、そして〈生命〉があった。それ自体が光を放たなくとも光りうる物質としての「生地」と「ペインティング/デジタルペインティング」の融合に可能性を見いだす。
2021年4月、デジタルペインティング作品を「手に取れる形」にして欲しいという注文を受ける。
どう実現するかを探る中、京都の美術印刷会社サンエムカラーの特殊印刷技術「KASANE GRAFICA(カサネグラフィカ)」に出会う。フルデジタルで描画したデジタルペインティング作品『Rainfall』を「KASANE GRAFICA」を用いて制作。絵具とはまた違うUVインク特有の質感と空気感をまとう、奥行きと物質的陰影を持つデジタルペインティング技法『Z-INDEX PAINTING(ゼットインデックス・ペイント)』に辿り着く。
2021年6月、着物の「袋帯」と『Z-INDEX PAINTING』の組み合わせに思い至る。同年8月、その初の作品『流れ着いた先に』『つながりの中でこそ』が完成。「衣服の生地」に「Z-INDEX PAINTING」をクロスオーバーさせる技法『Z-CLOTHOVER(ゼット・クロースオーヴァー)』を確立。署名に『D.sign』を使う。

現在、愛知県瀬戸市をベースに活動中。

グループ展

2021FACE展2021(SOMPO美術館)
2020全日本アートサロン絵画大賞展(国立新美術館)

受賞歴

2020FACE2021 入選
2019全日本アートサロン絵画大賞展 入選