STATEMENT
杉山大介はデジタルドローイング・3Dスキャン・AIを用いた描画データを繊維素材に印刷・立体化し、デジタル社会における生と死の連続性・輪廻を表現するコンピューターアーティストだ。
先行するコンピューターアートの実践者としてはウェイド・ガイトン(1972年 米国に生まれる)がインクジェットプリンターの逸脱的使用でドローイングを作成する試みを、ハロルド・コーエン(1928 年 – 2016 年 イギリスに生まれる)がAIに絵画を描画させる試みを行っている。杉山が先行者たちと異なるのは仏教思想をベースにしている点だ。
杉山は完成した作品を言語化し、自ら手放すように生成AIにゆだねる。そうして描画された図像を元に次の作品を描くのだ。過去の作品をコラージュに用いることで心象をデータ化し新生させることも、印刷に適した紙を使わずにあえて古い着物を素材にすることもある。これは仏教における「輪廻(サンサーラ)」を表すための工程だ。
自己とは何かを問い続けることで杉山作品は過去から現在そして未来へ続く長大な自画像としての側面を持つのである。
抽象表現主義者たちは絵の具によって絵画に厚みを求めたが、杉山はデジタル空間上に高さ情報を設定し輪廻を果たした作品に立体ドローイングを行う。二次元の印刷データ内に情報としての厚みが込められているのだ。
杉山は印刷が困難になるにもかかわらず、あえて繊維質の素材を選ぶ。手漉き和紙も古い着物もその細部を見ればひとつとして同じ物はない。人の手に触れ、今ここに至るまでの過程がこの素材を固有の物質たらしめている。
こうした素材に印刷する以上、画一化された印刷用紙のようにはいかない。
自分ではどうすることもできない素材の癖に影響されることになるが、杉山はあえて流れに逆らわずに生かすことでその運命を受け入れる。ただそこにある現象としてありのままに受け入れること。仏教における「無我(アナートマン)」を表すための工程だ。
こうして生み出された杉山作品は絵筆を一切使っていないにもかかわらず従来の絵画のような姿をした、まったくの別物である。
実物を鑑賞すればその精密さが人の手によるものではないことがわかる、人の手の限界を超えた印刷によるものだ。絵筆によって同じ精緻さを求めたなら途方もない時間が必要とされるだろう。素材に印刷されることでその複雑さは増してゆき、額と一体化することで印刷物は絵画の皮を被る。
杉山作品とは近代絵画に擬態する現代アートなのだ。